コミュニケーションは要らない
押井 守 著 幻冬舎新書
798円 (税込)
アニメファンなら、著者名を見て「おっ」と思うことでしょう。著者の押井守氏は、世界的に評価の高い映画監督で、おもにアニメーション作品を中心に活躍しています。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で頭角を現し、『機動警察パトレイバー劇場版』で注目され、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』で世界的な名声を博しました。『イノセンス』は全世界で公開され、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネート、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』はベネチア国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされました。
世界的に著名なアニメーション監督といえば、誰もがスタジオジブリの宮崎駿監督を思い浮かべるでしょうが、押井監督と宮崎監督は一緒に海外旅行をするような仲で、押井監督は宮崎監督のことを「宮さん」と呼んでいます。両極端の作風を持つ二人の巨匠ですが、実は仲がいいというのは少し意外な気がします。
さて、本書のタイトルですが、非常に反語的な、皮肉に満ちた刺激を感じさせます。実写であろうと、アニメーションであろうと、映画作りにはたくさんの人手が必要で、それらの人たちを監督の目的に沿って動かすためには、強力なコミュニケーションの能力が求められるはずです。にもかかわらず、「コミュニケーションは要らない」というのは、どういう主張なのでしょうか。以下、内容に沿って見ていくことにしましょう。
「まえがき」で、著者は自分の3.11体験を披露しています。地震の瞬間は歯医者の診療台の上にいたこと、帰宅の足を奪われて延々と無言で歩く人の群れを見て「映画みたいだ」と感じたこと、震災以降の報道に触れて強烈な違和感を感じたこと。少し引用してみましょう。
おびたたしい情報がそこにあり、様々な意見が述べられ、ひとつひとつは重要なのだけれど、もっとも知りたいことが、今語られなければならないことが語られていない。
「震災対策」も「復興支援」も、あるいは「原発論議」も、それぞれが何の脈絡もなく論議されているだけだ。あらゆる言説が溢れていながら、そのすべてが目先の問題に終始するだけで、あの出来事の本質に届いていないという激しい焦燥感があった。
なぜそうなのか。著者は日本という国の言説のあり方にこそ問題があると言います。見たくないと思って目を逸らし、言いたくないから気がついても言わない。聞きたくないことは言われても聞かない。近代日本はその姿勢で過ちを繰り返し、破局を招いてきたと著者は指摘します。
また、著者は「日本人には本当のコミュニケーションができない」と主張します。コミュニケーションには「現状を維持するためのコミュニケーション」と「異質な相手と新たな関係性を生み出すためのコミュニケーション」の2つがあるが、日本人はこのうちの前者だけをコミュニケーションだと思い込んでいる、というのです。前者はすなわち、ご近所づきあいや会社づきあい、先輩とのつきあい、家族関係や恋愛関係を意味し、問題を起こさないための協調や協力が重視されます。「ムラ社会」という言葉に代表されるような馴れ合いの世界です。
もう一方のコミュニケーションでは、議論がベースとなります。会議や外交、交渉のように、異なる意見の持ち主が言葉を武器に自分の利益を守ろうとして暴力によらない戦いを展開します。日本人はこちらがすごく苦手だというのが、著者の指摘です。苦手なあまり、「みなまで言わなくてもわかるだろう」「察してほしい」「腹芸」という、国際的に通用しない技に頼ってしまいます。
そうなった原因のひとつは、日本の近代化にともなう「言語空間の喪失」があると著者は言います。言葉が変に均質化して空洞化してしまったため、自分の言葉で議論する習慣が日本人から失われたのだということです。感情の共有をする言葉はあるが、考えをぶつけ合うための言葉がない。それでは議論は生まれません。「道具を使って便利に効率的にコミュニケーションをとるというような方法論によって表層的にコミュニケーションを論じる以前に、この国にはそもそもコミュニケーションの内実が存在しない。我々はまず、そのことに気づくべきだろう」というのが、著者の指摘です。
また、現代の日本人が持っている特徴として、「順番にものを考えられない」「見えないブレーカーですぐ思考停止を起こす」の2点が挙げられています。「順番にものを考える」とは、いわゆる論理的思考(ロジカル・シンキング)を意味しますが、これができずにすぐ情緒に流れてしまうため、本質的な論議ができないわけです。
「見えないブレーカー」とは、ロジカル・シンキングをストップさせる機能のことで、憲法改正論議や原発論議など、本質的な対立が内包されている大テーマでよく起きます。しかし、それがあると異質な相手とまともなコミュニケーションができません。その結果、言うべきことが言えないまま曖昧な態度に終始したり、相手にどんどん言質を取られて劣勢に追いやられてしまったりします。
著者が本書を書いた目的は、「自分で筋道を立てて考えることがいかに大事か」をアピールするためであったと記されています。コミュニケーションの本質を考えながら、自分で思考の道筋をチェックしてみるといいでしょう。そのためのヒントになる1冊です。
|