その「正義」があぶない。
小田島 隆 著 日経BP社 刊
1,575円 (税込)
欧米では「コラムニスト」や「エッセイスト」は地位の高い物書きであり、小説家より上位に見られている場合も少なくありません。それに対してわが国では、コラムはベテラン記者の書くものであり、エッセイは著名な小説家や文化人が余技として書くものであるようです。したがってコラムやエッセイを専門にしている物書きは、わが国では珍しい存在です。
本書の筆者である小田島隆氏は、その数少ないコラムニストのひとりです。毎週金曜日に公開される日経ビジネスオンラインの「ア・ピース・オブ・警句」は、更新されるたびにネット上で大議論を巻き起こす震源地となっています。どんな姿勢で書かれているコラムかは、著者による紹介文を引用すると明白です。
「当欄は、世間に転がっている言葉を拾い上げて、かぶりつく試みだ。ケーキを食べるみたいに無思慮に、だ。で、咀嚼嚥下消化排泄のうえ栄養になれば上出来、食中毒で倒れるのも、まあ人生の勉強、と、基本的には前のめりの姿勢で臨む所存です。よろしくお願いします。」
ちなみに、タイトルの「ア・ピース・オブ・警句」は、英語のイディオムで「おちゃのこさいさい」を意味する「a piece of cake」に引っかけたダジャレです。
本書は、その「ア・ピース・オブ・警句」に2010年から2011年まで掲載された記事をセレクトして改題したものが収録されています。1章~6章までに各3本の記事があり、終章は1本のみの記事で構成されています。章立ては以下の通りです。
1章 原発と正義
2章 サッカーと正義
3章 メディアと正義
4章 相撲と正義
5章 日本人と正義
6章 政治と正義
終章 グレートジョブズによせて
元記事が書かれたのは一昨年から昨年のことですから、本書の話題はすべてが「ちょっと前」。読者は「ああ、そういえば、そんなことがあったな」と少し懐かしい思いにとらわれることでしょう。時事性から言えば、あえて本欄で推薦する必要もない本かもしれません。
にもかかわらずここに登場させたのは、本書を読むことが「思考停止」を回避し、「柔軟な思考」を取り戻すヒントになると考えたからです。著者は「発刊によせて」というまえがきの中で、正義と思考停止についてこのように述べています。
「正義は、それに反する者を排除し、自分たちの陣営に与(くみ)しない人間を敵視するための装置になる。であるから、正義という文脈で話をしているうちに、人々は、いつしか正義と不正義を峻別(しゅんべつ)するフィルタリングの作業に熱中するようになる。つまり正義は、思考停止ワード(というこの言葉もまた極めつきの思考停止ワードであるわけだが)なのである。」
本書に取り上げられているさまざまな事件や話題は、現在から見るとすでに決着のついたものが多く、そのために著者が苦労して展開している議論を比較的冷静に読み進むことができます。そして、多くの人が二元論の中で思考停止になってしまっているポジションから、著者とともにさらに数歩前に思考を進めることが可能になるでしょう。
1章の「原発と正義」の中に、このようなくだりがあります。著者は3.11から1カ月間、必死で放射能の勉強をします。どんな分野でもそれなりに努力をすれば理解が深まるものだと信じたからです。しかし、原子力に関してそのセオリーは成り立ちませんでした。疲れ果てた著者は、とあるテレビ解説員の話を鵜呑みにすることに決めます。
「結局、人は信じるに足る話ではなくて、信じたい話を信じるものなのだ。…(中略)判断がつかなくなった時に、安心感を与える情報に飛びつくタイプの人間と、不安を煽る情報に依存するタイプの人間がいて、私は前者なのだ。結局、判断を放棄した人間は、自分の心的傾向に合致した情報にもたれかかる。そういうことなのだと思う。真偽が検証不能である限りにおいて、何を信じていようが結局のところ大差はないのだ。」
現代の私たちは、毎日起きるさまざまなニュースに対して、早急に結論を下そうとします。あるいは、「この意見が正しそうだ」という意見を見つけ、それに乗っかります。そして、それ以上考えなくなります。しかし、本書の一見不真面目で、のらくらしていて、変なところにしつこい論調を読んでいるうちに、「まてよ?」と思うようになるはずです。
そして著者の饒舌な文章を楽しんでいるうちに、「自分が小田島だったら、この話題をどう料理するだろうか」と考えるようになるでしょう。そうなれば、危険な「思考停止」から脱却できます。
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